フランス革命――フランスの反革命

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革命当時のフランスの反革命

 

ジャン・ジョゼフ・ムーニエ

グルノーブルの裁判官、全国三部会で第三身分代表として選出されました。テニスコートの誓いを提案し、聖職者と貴族との連合を支持しました。1789年9月に憲法制定国民議会の議長に選出されましたが、革命に疑問を持ち1790年にスイスに亡命しました。ナポレオンが総裁政府を打倒した後にフランスに帰国、1805年に国務顧問に任命されました。

著作

『政府についての考察』(1789年)
『フランス人が自由になることを妨げる原因に関する研究』(1792年)
啓蒙思想家、フリーメイソンおよびイルミナティフランス革命に与えた影響』(1801年)

マロウエ男爵ピエール・ビクター

三部会に参加し、君主制の擁護者として活動しました。テュイルリー宮殿の包囲の後にイギリスに亡命、『フランス革命省察』の著者であるエドマンド・バークと面会しています。ブリュメール18日のクーデターでナポレオンが総裁政府を打倒したことにより、フランスに帰国しました。マロウエ男爵は奴隷制の擁護者でもありました。

ヴィリュー侯爵フランソワ・アンリ

初期のフランス革命に賛成し、人間の権利の宣言を支持しました。その後、聖職者民事憲法と貴族の廃止に反対し、クレルモン・トネール伯爵らとともに反革命に転じました。1793年のリヨンの反乱を支援しましたが、同年にリヨンで殺害されました。ヴィリュー侯爵はフリーメイソンのメンバーでもありました。

ラリー・トランダル伯爵

ラリー・トランダル伯爵は初め革命の支持者でラファイエットを支持していました。その後、革命の進行に伴い反革命に転じます。国王を支持し、クレルモン・トネールらの君主派のクラブに加わりました。また、1792年8月10日にルイ16世を助ける計画を立てましたが失敗に終わりました。ラリー・トランダルは逮捕されましたが、九月虐殺前にイギリスに脱出することに成功しました。革命後にフランスに帰国しました。

クレルモン・トネール伯爵

トネール伯爵は1789年にユダヤ人の市民権加入を支持しました。
「私たちは国家としてのユダヤのすべてを拒否し、個人としてのユダヤにすべてを与えなければならない。」と述べました。
1792年4月にルイ16世をパリから脱出させるマロウエ男爵の計画に加わりましたが、マリー・アントワネットの反対により失敗しました。
1792年8月10日に王権が停止され、ルイ16世はタンプル塔に幽閉されました。同日にトネール伯爵も逮捕、釈放されましたが、暴徒に襲われて殺されました。