ロシア革命以前のロシアの労働者運動

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ロシアのナロードニキ運動と秘密結社の関係性についてのメモ書きです。

 

 

ナロードニキ

ナロードニキ1860年代から1870年代にかけて活発化した社会運動で、「ナロード(人民)の下へ」を合言葉に、活動家はロシアの小作農たちに彼らの理想を説いて回りました。しばしばポピュリズムとも解されますが、むしろ社会主義的であったとされます。

1861年ロシア皇帝アレクサンドル2世は農奴解放令を発し、ロシアの農奴制は廃止されました。ナロードニキによる社会運動はこの後に活発化しました。

秘密結社「土地と自由」

1861年にロシアで秘密結社土地と自由が結成され、1864年まで活動しました。その後1876年から再び活動を再開し、1879年まで活動しました。

創設者のひとりである指導者はリトアニア出身のユダヤ人マーク・ナタンソンで、アメリカで無政府主義運動を行ったアレクサンダー・バークマンの叔父にあたります。

メンバーは他に、アレクサンドル・ミハイロフ、ギオルギー・プレハーノフ(タタール人)、オシプ・アプテクマン(ユダヤ人)、ニコライ・モロゾフ、ソフィア・ペロフスカヤなどがいます。

秘密結社「人民の意志」

1879年には、土地と自由から分裂した過激派による秘密結社人民の意志が誕生します。

メンバーはアレクサンドル・ミハイロフ、アンドレイ・ジェリャーボフ、ソフィア・ペロフスカヤ、ヴェーラ・フィグナー、ニコライ・モトゾフなどです。

人民の意志は、同年に皇帝専用列車の爆破を計画しましたが、失敗し、翌年、サンクトペテルブルクの冬宮で爆破事件を起こして5人を殺害します。

更にその翌年である1881年にはソフィア・ぺロフスカヤをリーダーとしてアレクサンドル2世を暗殺します。この事件で5人が絞首刑となりました。

1884年には人民の意志の中心メンバーだったアレクサンドル・ミハイロフが刑期中に死亡します。人民の意志の再興を目指す活動が行われ、一方で類似組織を結成するなどの計画が持ち上がりましたが、失敗に終わりました。

1887年、人民の意志のメンバーであったレーニンの兄、アレクサンドル・ウリヤノフがアレクサンドル3世の暗殺に失敗し、処刑されました。

【コメント】

秘密結社「土地と自由」のアイコンは、1917年に創設された、ドイツ独立社会民主党のアイコンと似ています。

ドイツ独立社会民主党の党首であったフーゴ・ハーゼもマーク・ナタンソンと同じくユダヤ人です。この握手はフリーメイソンの秘密のサインを表しているものと推察します。

西ヨーロッパでは1864年にロンドンのセント・マーティン・ホールで第一インターナショナル(国際労働者協会)が始まり、1876年に解散しました。

ナロードニキの運動はこの流れとほぼ完全に一致しています。第一インターナショナルの最重要メンバーだったカール・マルクスの思想が、ロシアでは土地と自由、人民の意志として活動されていたということなのでしょう。