ハリウッドの誕生①チャップリン

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今回のテーマは映画とプロパガンダです。ここではチャップリンについて紹介します。この記事は2020年06月28日(日)に書いたものの転載です。

 

 

喜劇王チャップリン

チャーリー・チャップリン(1889-1977)は「喜劇王」の異名を持つイギリス出身のコメディアンです。チャップリンが活躍した時代の日本でも、「フォードを知らない人であっても、チャップリンを知っている」とさえ言われました。チャップリンの僅かな演説でウィルソン政権は戦時国債を発行することができたとさえ言われているほどの影響力をもっていました。

チャップリンは1889年にイギリスのロンドンで生まれました。1歳の時に両親が離婚し、以後母親に育てられましたが、やがて母親が精神的な病気を患い、そのため兄のシドニーとチャーリーは貧民院や孤児学校に通っていたと言われています。

さまざまな仕事を転々としたあと、1899年ころから劇団などで演技に励むようになりました。18歳のころには劇団の若手看板俳優にまで上り詰めました。やがてフランス、アメリカ、カナダなど各地を巡業し、1913年にはカリフォルニアのキーストン・スタジオに入社しました。

今日も知られている、山高帽に、窮屈な上着、だぶだぶのズボン、ドタ靴、チョビ髭にステッキという扮装は、チャップリンの出演二作目のものから続き、1940年までこれが彼のトレードマークとなりました。

チャップリンはその後、エッサナイ・スタジオ、多額の契約金でファースト・ナショナル(のちにワーナー・ブラザーズに吸収合併)へと移籍し、やがてMGM傘下のユナイテッド・アーティスツを設立しました。『キッド』(1921)、『黄金狂時代』(1925)、『サーカス』(1928)、『街の灯』(1931)、『モダン・タイムズ』(1936)、『独裁者』(1940)など数々の代表作を残しました。

『独裁者』と民主主義

チャップリンは『独裁者』で床屋のチャーリーとアデノイド・ヒンケルの二役を演じます。床屋のチャーリーはアドルフ・ヒトラーをモデルとしたヒンケルと瓜二つの存在です。

チャーリーはヒンケルと間違えられてヒンケルとして連れていかれます。最後には自由と民主主義を説く演説を行い拍手喝采を受けて幕を閉じます。

この『独裁者』は特に戦後の日本でも、様々な場所で最大級の評価を受けています。戦後日本の教育で学んだ理想そのものであり、多くの日本人がこの映画の高い評価を聞いてきたのではないかと思います。

この作品は、ドイツがポーランドに侵攻した1939年以降、1941年に日本が真珠湾を攻撃したことにより、アメリカが第二次世界大戦に参戦しましたが、それ以前のもので、世界中で多くの人々が枢軸国の残忍さを予見的に表現した作品であると評価しています。

ここでチャーリーは、「世界を一つにし、権力を大衆の元に取り戻すべきである」といい、「独裁者の奴隷になるべきではない」といいます。「神の王国は人間の中にある」ともいいます。大衆がこういった世界を目指した結果が今日の世界のありようともいえるでしょう。

共産主義

チャップリンは戦後一転してマッカーシズムの対象となります。戦前に共産主義の協力者として、またユダヤ人ではないかという疑いによっても大きな批判を浴びるようになりました。単に批判されるだけでなく、1952年、実際にアメリカから国外追放されることになりました。

1954年に世界平和評議会から「平和国際賞」が贈られましたが、この世界平和評議会は日本では日本共産党が参加している通り、チャップリン共産主義勢力から非常に高い評価を受けていたことは間違いありません。

しばしば、政治思想と芸術の評価は関係がないという批判もありますが、芸術は今日政治活動と切り離されているとは私には思えません。そういった作品が事実非常に多く、その評価される思想的傾向にも実際に偏りがあります。

芸術は政治に利用されないわけがない、というのが私の個人的な見解ですが、チャップリンも同様にその例外ではなかったと思います。

戦前にはチャップリンの作品の日本に及ぼす影響から、五・一五事件の時に暗殺計画があったようです。

また、一部情報では、チャップリンの本名はイスラエル・ソーンスタインではないかというものもあります。ABCなどの記事でも見ることができます。一部ではまた、チャップリンユダヤ人でほぼ間違いないという人もいます。

チャップリンユダヤ人であるにせよ、ないにせよ、共産ロシアとアメリカのニューディーラーたちにとって都合のよい考えを持っていたことは間違いないですし、事実それは彼らに評価され表彰されていました。共産主義ユダヤ人との関係はロシア革命ボルシェビキの主要メンバーの多くがユダヤ人であったように、非常に強いつながりがあります。

ロシアだけでなく、ドイツでも1918年にドイツ革命がおこり、多くのユダヤ人が革命運動を指揮し、ドイツの一部地域では短期間であれ、共産主義政権を樹立しています。ほかにもロシア革命と連動して、ハンガリーポーランドチェコスロバキアなどでもユダヤ人が革命を主導しました。

ドイツでナチスが台頭する理由のすべてではないにせよ、これらの一連のユダヤ人を中心とした共産主義革命運動があったといえます。戦後教育でこれらの革命が肯定的に論じられているのは、戦勝国を主導する勢力がこれらの革命勢力と同じ側だったからです。

フランクリン・ルーズベルトの周りの多くが実際にニューディーラ―と呼ばれる共産主義者で囲まれていたわけですから、何ら不思議なことではありません。

異なるパースペクティブ

床屋のチャーリーは「独裁者の奴隷になるな」とは言っても、「金融資本家の奴隷になるな」とは言っていませんし、世界が一つになるべきだという主張は言葉として正義に感じられるかもしれませんが、それは世界連邦、あるいは、彼らが目指す「新世界秩序」という全体主義に行き着くということを想像しないわけにはいかないでしょう。

かのフランス革命において「人権」が高らかに掲げられましたが、あの革命にあって多くの人々の「人権」が、そして「人命」が蔑ろにされたという事実を忘れるべきではありません。人権思想それ自体が事実一般市民の人権を蔑ろにしてきたという歴史を、私たちは何度も振り返るべきです。

床屋のチャーリーがヒトラーを批判したように、私たちもまた床屋のチャーリーの理想が行き着くのが独裁体制かもしれないという予感を感じる必要があります。確かに床屋のチャーリーの主張にも一理あるかもしれませんが、その演説のどこかに嘘や欺瞞があるかもしれないという可能性を想定する必要があると思います。

ロシア革命以来、共産主義体制下では1億人以上の人々が殺害されたとも言われていますが、このような理想がいまだにほとんど批判されずに、なぜ人々の間で理想として流布され続けているのかという疑問を私たちは歴史から洞察する必要があるでしょう。

最近でも、ジョージ・ソロスという投資家がANTIFAという共産主義無政府主義団体に多額の支援金を提供しているという噂が流れています。資本家と共産主義者がなぜ利害が一致しているのかを私たちはただしく認識する必要があります。

ジョージ・ソロス・・・ハンガリーユダヤ人投資家、オープン・ソサエティ財団創設者。自身を国境なき政治家と称する。ANTIFAの設立に一役買っていると海外では噂されています。

追記

チャップリンユダヤ人かどうかですが、ドイツ生まれのユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントは『パーリアとしてのユダヤ人』の中でチャップリンユダヤ人であるかのように記述しています。この点については別に記事を書いてみようと思っています。
2021年5月15日

最後に

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