ロシア革命――ボルシェヴィキ政権とユダヤ人

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資料:諏訪部一之輔 著

 

『世界の毒素:ユダヤ民族の大陰謀と大和民族の警醒』1927年 昭和2年

世界で一番恐ろしいものは戦争だとして、かの国際連盟というものが生まれた。この第一目的は世界人類のために将来戦争の惨禍をなくしたいということであるが、このようなことは到底のぞみえるべきことでないのみならず、私は民族と国家の上より見て思想の悪化が最も恐ろしいと思う。

どうして彼らの危険思想家は種々の美名を掲げて誘惑扇動して労働者・無産者・失業者・不平者を教唆し、横における連合の力をもって縦における階級の闘争を起こさせ、そうして長い歴史のあいだに作り上げた社会の秩序組織を内部から崩壊し、ついに一国の暴動革命を誘発するのだが、このために辜なき多数の国民の血を流しその惨禍は筆舌に尽くしがたく実に恐ろしいことである。

ヨーロッパの大戦乱とロシアの革命騒ぎを比較すると、4年間にわたる大戦乱に参加した各国の戦死者すなわち犠牲者の総数は750万人といわれているが、ロシアの革命派どうだったろう。

ニコライ皇帝皇族は逆殺にあい、貴族富豪はもちろんのこと一般国民は掠奪され凌辱され惨殺され、たちまちに犠牲者2000万人を出し国家を転覆して異民族のきわめて少数のユダヤ人に暴圧的強制を受け国民は戦々恐々の巷に彷徨い、疲弊困頓、飢饉疫癘いたるところに起こり、食いに食なく争って死屍の肉を食らう鬼態を現出し、さらに1300万人を犠牲に供し当時の有産階級者はたちまちに無産者となり、生存の安定を得られず、安全地帯を求めて多くは他境に流浪し、当時の無産階級者は赤貧奴隷となり現に駆使せられつつ悲惨に泣いている、革命の惨禍、実に恐るべきである。

続いてドイツ帝国オーストリア・ハンガリー帝国およびトルコ帝国などいずれも同一手段のために覆され、その革命当時の惨害また同様である。10年前に世界を睥睨したドイツ皇帝カイゼルはわずかに逃れてオランダの片田舎ドールンに余命を保ち、オーストリア皇帝フランツ一世はスイスのベルケンに隠遁した。

以上各国の革命はいずれも種々の美名のもとに民衆を煽動し、ある統一した組織的運動によって起こったのでその手段と結果を見るに戦争よりもすこぶる恐ろしいのである。

※ 第一次世界大戦の犠牲者はWikipediaによると戦闘員が900万人以上、非戦闘員が700万人以上とされている

※ カイゼル・・・ヴィルヘルム二世

※ フランツ一世は第一次世界大戦時に死去、スイスに亡命したのはカール一世だが、カール一世もやがてマデイラ島に流され1922年に急逝

※ ドイツ革命の共産主義者の多くがユダヤ人であり、ハンガリー革命のクーン・ベラもまたユダヤ人 トルコ革命の指導者ムスタファ・ケマルフリーメイソン

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コメント

1927年の日本の著作でも、ロシア革命ユダヤ人による革命であるとはっきりと記されています。ちなみにユダヤ人による革命というのは10月革命のことで、ユダヤ人主導のボルシェビキ政権のクーデターによって、臨時政府が妥当され、ニコライ二世とその家族が虐殺されました。

以後のソヴィエトによる虐殺は1932~33年のウクライナのホロドモールで400~1450万人が死亡したとされ、1930~53年のスターリン時代の大粛清で80万人近い人々が反革命罪で処刑されています。

諏訪部氏による犠牲者数がどこまで正確なのかはわかりませんが、Wikipediaによると1917年から23年までのロシア内戦の戦闘員および非戦闘員の死者数は推定で700~1200万に及ぶとされており、如何に犠牲者の規模が大きかったのかが分かります。