ヴィトゲンシュタイン『確実性の問題』より「世界像と伝統」
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今回はヴィトゲンシュタイン『確実性の問題』からの引用とそれについての個人的な考えをお話ししたいと思います。記事中には私個人の偏見や認識の誤りも含まれていると思います。その点のご理解のほど、よろしくお願いいたします。
学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。
序文
ヴィトゲンシュタインの『確実性の問題』は、ヴィトゲンシュタインの著作の中ではあまり話題になりませんが私個人としてはかなり好きな著作の部類に入ります。
引用文
私の世界像は、私がその正しさを納得したから私のものになったわけではない。私が現にその正しさを確信しているという理由で、それが私の世界像であるわけでもない。これは伝統として受けついだ背景であり、私が真と偽を区別するものもこれに拠ってのことなのだ。
『ウィトゲンシュタイン全集9』p31
感想
人が何かを正しいと判断した場合、その正しさはその人個人による納得や確信というものよりも、彼の背景にある伝統、そしてその対象が社会あるいは人類全体でどのように解釈されてきたのかという伝統によって信念として固定されている部分があるように思えます。
その伝統が正しいという意味でもなく、間違っているという意味でもなく、私たちの世界像は社会的な、あるいは人類的な経験に基づく伝統によって構築されていると言えるかもしれません。
このような伝統のおかげで人は速やかに物事を判断することができると言えるのと同時に、場合によっては速やかにその伝統を受け継いでしまうという言い方もできるでしょう。
私もあなたも、世界の様々な現象について、私が納得したから、私が確信したからそう思っているのではなく、一種の伝統として、それを受け継いでいるというべきかもしれません。
どんなに理屈を並べても、どんなに合理性を追求しても、もしかすると、私たちは私たち自身の伝統という枠組みの中でしか、その物事の合理性を判断できないのかもしれません。
もちろんすべてのケースでとはいいませんが。
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最後に
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