ハリウッドの誕生③ワーナー・ブラザーズ

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今回のテーマも映画とプロパガンダです。ここではワーナー・ブラザースの成立の歴史をたどっていきたいと思います。この記事は2020年06月29日(月)に書いたものの転載です。

 

 

エジソン・トラストとワーナー兄弟

ワーナー・ブラザースは1923年にワーナー4兄弟によって設立されました。

ワーナー兄弟はポーランドユダヤ人の移民労働者でした。1903年にハリー、アルバート、サムがオハイオ州ペンシルベニア州などの鉱山町で無声映画大列車強盗』の展示などをして巡業していました。1904年にピッツバーグで映画配給会社を設立し収益を上げました。

1908年にトーマス・エジソンが映画配給を独占するモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニーを設立しました。モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニーはエジソン・トラストまたはMPPCなどとも言われます。

このエジソン・トラストは映画特許をもとに、トラスト参加各社の作る映画を上映するたびに映画館から料金を徴収するというものでした。これによって一時期、ワーナー兄弟も業界から身を引きました。兄弟の中で映画製作の夢を持ち続けていたサムが、兄弟を説得して1918年にハリウッドに映画スタジオを構えました。

この時期、エジソン・トラストから逃れるために多くのユダヤ系の業者が西海岸のハリウッドへと移りました。1915年に連邦裁でエジソン・トラストの行動は、本来の特許を守るという目的を逸脱しているとして違法であるという判決を受けました。1918年にエジソン・トラストの上訴が却下され、これ以降ハリウッドが世界最大の映画産業の地になりました。

1920年代からワーナーはシェパードを主人公にした映画でハリウッド有数のスタジオへと躍進します。この映画は「名犬リンチンチン」シリーズというもので、リンチンチンの死後はリンチンチンJrが活躍するなど、このシリーズは1930年代まで人気を博しました。

1924年にはユダヤ系資本のゴールドマン・サックスから多額の融資を受けます。この資金を元にロサンゼルスをはじめいくつかの都市で放送局を誕生させることに成功しました。

この時代のハリウッドはエジソン・トラストを逃れたユダヤ人を中心に、ユニバーサル・ピクチャーズ、MGM、20世紀フォックスパラマウント・ピクチャーズなどがその地位を確立していくという時代でした。

初期のワーナー・ブラザース

1927年に、セリフのある世界初の長編映画ジャズ・シンガー』を配給しました。そしてこのタイミングでサム・ワーナーが死去します。最も映画製作に熱心だったサム・ワーナーを失ったワーナー兄弟は、やがて修復しがたい決裂を招くことになります。

1929年には20世紀フォックスの前身フォックス・フィルムとのファースト・ナショナルの買収合戦に勝利し、合併しました。これによってワーナー・ブラザースはさらに大きな企業へと躍進しました。

この年には『On With The Show!』で全編音声付の二色式カラー映画を製作し、この技術をもとに『ドクターX』(1932)や『肉の蝋人形』(1933)などのミステリー映画を製作されました。

1930年代にはリアルなギャング映画をはじめ、女性向けのメロドラマ、日本のチャンバラ映画に相当する剣戟映画など多様な映画を製作し、ディズニーキャラクターに対抗したようなアニメキャラクターも製作されます。バッグス・バニーダフィー・ダックポーキー・ピッグトゥイーティーなどのキャラクターが生み出されました。

ディズニーキャラクターのように今日も全世界で認知され続けているというキャラクターにまで成功したとは言えませんでしたが、キャラクターデザインなどにも力を入れていたことがわかります。

ワーナーの光と闇

1943年、ワーナーはフランクリン・ルーズベルト大統領の助言を元に『ミッション・トゥ・モスクワ』を映画化します。この映画はアメリカ人に対してソ連が優れた同盟国であることを説得するというプロパガンダ映画として製作されています。この映画はニューディールプロパガンダとも言われています。

一方で、同年に『カサブランカ』がアカデミー賞最優秀作品賞を受賞しました。この作品はハル・ウォリスがプロデューサーでしたが、この賞の授賞式でハリ・ウォリスがトロフィーを受け取ろうとした際、ワーナー家全員が妨害するように道を塞いだとされています。結果的にトロフィーはジャック・ワーナーが受け取り、ウォリスは40年たったのちもショックから立ち直ることができないと言っています。

兄弟間の対立はジャック・ワーナーの裏切りによって決定的となりました。1956年にワーナー・ブラザースの売却劇がありましたが、この裏で密かにシンジケートを組織していたのがジャック・ワーナーでした。ハリーとアルバートは完全に虚を突かれ、ハリーは二度とジャックと口を利かなかったと言われています。こうして1970年代初頭までジャック・ワーナーは映画業界における大きな権威であり続けました。

ハリーポッターとジョーカー

1967年に、ジャック・ワーナーはカナダ人投資家のハイマン兄弟に経営権を売却しました。ついで1969年にハイマン兄弟は、スティーヴ・ロスのキニー・ナショナル・カンパニーの買収提案を受け入れました。キニー社は、1940年代後半に設立した当初は小さな駐車場に過ぎませんでしたが、やがてレンタカー、清掃、建設、芸能エージェンシーと手を広げ短期間で巨大化した会社でした。

こうしてワーナー・ブラザースは、ワーナー家の手を離れて、タイム・ワーナーからワーナーメディアへと進展していく道が形成されていきました。

1990年代末には『ハリー・ポッター』シリーズの映画化権を購入しました。『ハリー・ポッター』シリーズは現在までに全世界興行収入1兆円を超えた世界的なブームとなりました。

2019年にはスリラー映画『ジョーカー』が大ヒットしており、今に至るまで、ワーナー・ブラザーズはハリウッド業界での一大勢力としての地位を守り続けています。ちなみにこの映画のキャッチコピーは「本当の悪は笑顔の中にある」としています。

前回にも紹介しましたが、ニール・ガブラーは次のように言っています。

「ハリウッドのユダヤ人はイメージとアイデアの強力な集合体を作成しました。ある意味で彼らはアメリカの想像力を植民地化しました。最終的にアメリカの価値観はユダヤ人が作った映画によって特徴づけられるようになりました。」

映画産業は、戦前から日本でも指摘され続けてきた3S政策の一環として考えるのであれば、現代社会は、「本当の悪は笑顔の中にある」という価値観を世界に広げようとしているのかもしれないという推測を最後に、ワーナー・ブラザーズについての記事を終わりたいと思います。

最後に

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。