宗教に言及する前に

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宗教問題に言及する前に、わたしたちはどのような認識を持ちうるのか。そういった点について論じたいと思います。

 

 

何故宗教について言及するのか

今回は少し宗教についての考えを述べたいと思います。

何故、宗教についての考えを述べるのかといいますと、これから少し宗教の歴史に焦点を当てていきたいと思っているからです。

率直に申しますと、私自身は宗教には興味がありません。私は基本的には科学的な方法で物事を考えたりしたい人間です。これは何も科学を無批判に受け入れるという意味でもありません。

プラグマティストとしての立ち位置

前回、私は自分のことをプラグマティストであると考えていると述べましたが、基本的にはこの学派の考えに従っているだけです。

プラグマティズムを提唱した、チャールズ・パースはその著作『信念の確定の仕方』の中で、信念を確定させる方法には四つのものがあるとしました。

固執の方法

自分の欲求や願望が基準となって信念を確定させる方法

②権威の方法

自分が所属する共同体の意向に沿って信念を確定させる方法

③先天的方法

人間の理性に従って信念を確定させる方法

④科学の方法

事実との一致を基準に信念を確定される方法

これらの内、①から③の考えが間違っているというつもりはありませんが、基本的には④の方法を採用するのがよいだろうというものです。

個人的に科学の方法を採用していると思っても、実際には固執の方法や、権威の方法、先天的方法によって、物事を考えている部分もあると思いますし、実際に科学の方法を採用したからといってもその結論が正しいとも限らないと思います。

ただし、私個人の立場としましては、科学の方法を自分への攻撃者に明け渡すことなく、守り抜くのを信条としたいと思っています。

プラグマティズムについての詳細については別で述べるとして、このような立場を表明した上で、宗教について言及することが個人的には大事なのではないかと思っています。

宗教と人類の願望

繰り返しになりますが、私は宗教に興味がありません。神とは何かとか、世界は将来どうなるとか、そういった話は、人間の神経システムを元にして作り出されたものであると思っています。

個人的な欲求や、集団や権威による欲求、そういった欲求が理性によって正当化されたものの積み重ねが宗教の根底にはあります。勿論すべてが事実とはかけ離れているとは言えないかもしれませんが、概ね人間の欲求や衝動が生み出したものです。

こういったものが人類にとってプラスになるのか、マイナスになるのかは正直よくわかりません。しかし、一面的には確実に様々な犯罪的行為の温床となってしまってきた歴史というのはあると思います。

そしてこれからもそのような活動が宗教的な価値観の元で行われようとしていると考えることもできるでしょう。

魔術的な儀式による犯罪行為や、現代優生学によって合理化された選民思想による諸政策など、人間の際限のない欲望というのは人知れず、誰にもわからないような形で進められていたと仮定した所で、決して非現実的なことではありません。そしてこういった話は実際に様々な形で私たちの耳に入ってきます。

現在、様々な形で言及されているこれらのことは陰謀論という呼び名で片づけられていますが、これらの陰謀論の内の仮に幾つかが事実であり、それが多くの人々にとって致命的な犠牲を強いるものとなるとしたら、私たちはそういったものについて関心のあるとなしにかかわらず言及しないわけにはいかないでしょう。

宗教の歴史について

私自身、あまり宗教の歴史には詳しくありませんが、逆に調べたい領域は数多くあります。宗教それ自体には興味がありませんが、その歴史については知る必要性を感じています。特に初期のキリスト教の歴史、グノーシス主義、あるいは中世のサタニズムやテンプル騎士団や薔薇十字団など、フランス革命以後の様々な革命運動と直接ないしは、間接的に関係している節があります。

人間の欲望が生み出し、それが集団の中で権威化され、やがて理論として合理化・正当化されていったものは、何も異端的な宗派や団体に限らず、いわば正統の正教会カトリック教会、プロテスタントも例外ではないでしょう。

私自身、正統と異端のどちらに与するでもなく、単にそこに他者に対して犠牲を強いることになんの違和感も感じないような固執的、権威主義的、合理主義的な価値観が潜んでいるのであれば、その正体を曝露するのみです。

あくまでも、現在の社会で問題になっていることについての考察材料として宗教の歴史に言及したり、学んだりするだけです。特に、何らかの宗教を正当化したりすることを目的としているわけではありませんので、その点をご理解いただけますと幸いです。