嘘まみれの世界のなかで

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この記事の内容は、様々な資料をもとに書かれています。

内容の中には一部ないしは全体を通して、資料に基づく偏見や誤りがある可能性があります。また、筆者自身による偏見や誤りがある可能性も当然否定できません。

できる限り公平かつ事実に基づいて記事を書きたいと考えていますが、この点を踏まえていただけましたら幸いです。

今回のテーマは嘘です。記事は2018年に書いたものです。

 

 

はじめに

オープンソースの情報から、それらの情報の正誤や意味を問いつづけることによって、事実がどのようになっているのかを分析・総合していくことができます。このような分析・総合という活動を繰り返し、繰り返し行うことによって、私たちははじめて戦後日本で、私たちが刷り込まれた情報の意味を初めて正確に読み解くことができるでしょう。

世界はあなたに嘘を吹き込む

私たちは正しい情報というものを待っていても手に入れることはできません。誰も本当のことを教えてなどくれません。あなたに真実を語るものがいたとすれば、それはあなたからあなたの大切なものを簒奪するためにあなたの前に現れた人間・組織です。

テレビも新聞もラジオも、週刊誌もオピニオン誌も、あなたから時間や資産を少しずつ奪いながら、あなたに嘘を吹き込んでいるのです。誰が親切にあなたに本当の真実を教えるでしょうか。誰が親切にあなたに幸せな生活を提供するでしょうか。

あなたが日常生活の中で、何も考えず、何も調べずに、彼らが提供する娯楽の中で溺れさせられる中で、誰があなたに手を差し伸べるのでしょうか。

あなたに真実を語りかけてくる相手は、何もあなたのもとへ直接訪れるわけではありません。彼らは多くの人々に低予算で大量の情報をほとんど無料に近い形で提供するわけです。つまりテレビを通じて、ラジオを通じて、新聞を通じて、週刊誌を通じて、オピニオン誌を通じて、あなたを欺こうとするわけです。

これだけならば、まだあなたには警戒する余地もあるかもしれません。実際は更に、義務教育機関・高等学校・専修学校・大学などを通じて嘘を吹き込みます。政治家の口を通じて彼らはあなたに嘘を吹き込みにきます。

嘘の世界のなかの孤独

あなたを取り巻く多くの社会的組織があなたからあなたの大切なものを簒奪するためにあなたの前に現れて、あなたに嘘の情報を吹き込むわけです。

あなたがこのような状況のなかで頼るべきものは唯一家族です。しかしながら、実際はその家族も彼らに完全に飲み込まれているわけですから、ほとんど何の頼りにもならないのです。あなたが頼るべき家族も、結局は彼らの代弁者なのです。つまりあなたには頼るべき他者は存在しません。誰もあなたに本当のことを教えてはくれません。誰もあなたに手を差し伸べてなどくれません。

あなたが沈み込んでいく状況を唯一改善できる可能性があるのは、あなただけです。それ以外には誰もいません。あなただけです。世の中にある膨大な情報の中から何が正しく、何が間違っているのかを判断できる唯一の存在はあなただけです。他には誰もいません。あなただけです。正確な表現ではないかもしれませんが、まずはそう考える必要があります。誰もあなたに正確な情報など提供してくれません。あなたがあなたに相応しいその神経システムを持って考察しなければならないのです。

もし仮に誰かがあなたに真実を語るものがいたとしても、あなたがそれを真実であると判断できる能力がなければ、その真実は存在しないのと同じです。その真実は無意味であることと同じです。その真実はあなたに何ももたらすことはないでしょう。

あなたの目の前に現れた真実をつかみ取るためには、あなた自身が正しい判断・分析・直感をもってつかみ取らなければならないわけです。もし仮に真実なるものがあればの話ですが。

騙し合いのゲーム

あなたが何をなすべきなのか、何を調べるべきなのか、何を感じるべきなのか、何を考えるべきなのか、すべてがあなた自身が見出さなければならないわけです。あなたがもし、多くの人間にこれまで欺かれてきたとするならば、今この時から本当のことを見出す必要があります。

あなたはあなたを騙して、あなたからあなたの大切なものを簒奪しようと長い歳月をかけて実践してきたものと、同じくあなたと同じように彼らに騙され続けていながらにして、あなたからあなたの大切なものを簒奪しようとするトークンのように自動的に作動する人間たちに囲まれています。あなたの周りにいる人間はあなたに大切なものを提供してくれる人間である可能性があるのは確かでしょう。しかしながら同時にあなたからあなたの大切なものを簒奪しようとしてくる簒奪者でもあります。

あなたは何もない状態、更には負の状態、ありとあらゆる富や知識を簒奪された状態からゲームをプレーしているプレーヤーではないという保障はどこにもありません。ありとあらゆる嘘を吹き込まれた状態から、ありとあらゆる嘘に取り囲まれた状態からゲームをプレーしているプレイヤーではないという保障はどこにもないのです。

もし、私たちが触れている情報の多く、あるいはほぼすべてに嘘が含まれているとしたならば、私が今述べたことは必ずしもフィクションとはいえないはずです。しかし実際に、私たちは私たちが読んでいる新聞や週刊誌、オピニオン誌が疑わしいことを知っているはずです。私たちが見ているテレビ、聞いているラジオがプロパガンダを大量に流していることを、なんとなく感じ取っているはずです。

更には政治家が言っていること、学校で教えていることの多くに、あるいはほぼすべてが嘘くさいことを知っています。しかしながら、そうであるにも関わらず、私たちはその疑わしさ、プロパガンダ、嘘くささの中から真実を見出そうとするわけです。もしあなたが触れてきたすべての情報がフェイクならば、そのすべての情報から取捨選択された情報もまたフェイクです。

ゲームを見抜くメソッド

どんなに膨大な情報があなたの目の前にあったとしても、その膨大な情報のほとんどすべてが偽情報であれば、あなたはまずその中から本当の情報を見出すことは難しいでしょう。あなたはそこでなぜか大量にある情報、多くの人々が真実であると見なしている情報が本当の情報であろうと錯覚します。みんなが選んだ情報こそが真実であると錯覚するのです。

しかし、その情報は決して本当にすべての人間が頭で考えて結論を導き出した多数意見ではありません。民主国家における多数者の意見は、決してみんなが考え出した意見ではありません。それは大量の情報を流している人間が提示しただけの意見です。ほかの誰の意見でもありません。

社会において誰も望んでいないことが、何故か誰もが望んでいるかのような情報として提示されているということがよくあることです。しかしながらこれはフェイクです。誰かがあなたからあなたの大切なものを簒奪するための嘘話です。こういった嘘情報が、私たちの価値判断にとって重要な思考メソッドにも入り込んでいます。私たちは物事を正しく分析できないように、思考できないように、その判断基準や判断方法の重要なメソッドすらもフェイクとして、私たちに組み込まれているのです。

ものごとを正しく判断できないように偽りのメソッドによって私たちは物事を分析しなければならない状況に追い込まれていないという保障はどこにもありません。あなたが子供の頃から正しいものとして刷り込まれてきた思考方法に、悪意が潜んでいないとは言えないのです。ところが、私たちは義務教育や高等学校・大学で正しいことを学んでいるに違いない、正しい判断能力を養っているに違いないと錯覚します。この結論には何ら根拠はありません。

学校は眠気を催す情報で溢れかえっています。誰が無償に近い形であなたに本当に必要な情報を提供するでしょうか。それが正しい判断を下すための正しい知識であるという保障などなにもないのです。

政治的な・経済的な物事を論じるうえで、私たちはその基礎となる判断能力・分析能力が問われます。もし世界が嘘話で溢れかえっているとしたならば、私たちの判断能力や分析能力は、私たちの生死に、または、民族の、人類の存亡に関わる問題です。そして世界が嘘話で溢れかえっていないという保障はどこにもありません。

まとめ

よくよく考えてみましょう。世界は嘘話で溢れています。あなたが世界がどのような世界になっているのかを考察するためのそのメソッドが、本当にあなたが世界を洞察するためのメソッドとなっているのでしょうか。真剣に向き合うべきでしょう。

さいごの一言

最後までお付き合いいただきありがとうございました。ご感想などありましたら、気軽にコメントください。