【フランス革命期のフリーメイソン・ロッジ】ヌフ・スール

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今回はヌフ・スールについての個人的な考えをお話ししたいと思います。記事中には私個人の偏見や認識の誤りも含まれていると思います。その点のご理解のほど、よろしくお願いいたします。

 

 

ヌフ・スール

Les Neuf Sœurs - Wikipedia

ヌフ・スールは1776年、アメリカ独立宣言のあった年、また、ドイツのバイエルンイルミナティが結成された年にフランスに設立されています。ヌフ・スールとは9人姉妹を意味します。

9人姉妹というのはギリシア神話に由来し、パルナッソスの山に住むとされるムーサ(ミューズ)の女神たちを差しています。ムーサには様々なバージョンがありますが、9人姉妹はヘーシオドスによるバージョンによるものと思われます。

フランスの大東社に属するフリーメイソンのロッジでアメリカ独立革命を支援した組織でした。

このロッジの「由緒あるマスター」にはアメリカのベンジャミン・フランクリンの名前も見えます。

以前に、四王天延孝の『ユダヤ思想および運動』(1943年)で触れました百科全書派のヴォルテールフリーメイソンに加わった話を引用しましたが、ヴォルテールが入会したフリーメイソンのロッジが大東社のヌフ・スールであることが解ります。

アメリカ人としてフリーメイソンに参加しているのはフランクリン・ルーズヴェルトの他にジョン・ポール・ジョーンズという海軍の軍人の名前も見えます。

ベンジャミン・フランクリン憲法の起草のためにアメリカに戻った時、後の大統領トマス・ジェファーソンが友人で同じく後の大統領のジョン・アダムズと共に、フランクリンの後を引き継ぎました。その後、フランクリンは『人間の権利』でも知られるトマス・ペインと共に再びフランスに戻りました。

トマス・ペインはフランス革命を批判的に論じたエドマンド・バークの『フランス革命省察』を批判するために1791年に『人間の権利』を出版したことで知られています。

アメリカで1776年に出版した『コモン・センス』により名声を獲得したトマス・ペインは、後に1785年の『政府・銀行・紙幣』で銀行を擁護し、1791年に『人間の権利』を出版した後に、理神論についてまとめた『理性の時代』を出版しています。また、ペインがフリーメイソンであったという証拠はありませんが、フリーメイソンが古代ドルイド教に由来するとする『フリーメイソンの起源に関するエッセイ』(1803‐1805)という作品が残っています。

セルクル・ドートイユ

セルクル・ドートイユというサロンには、多くの啓蒙思想家や革命家が参加しており、このサロンとフリーメイソン(ヌフ・スール)との関係が指摘されています。

エルヴェシウス夫人が開いたこのサロンには、ダランベールディドロコンディヤックといった啓蒙思想家や、シエイエスミラボーコンドルセタレーランシャンフォール、ガラー、ナポレオン、ジロンド派の女王と呼ばれたロラン夫人などの名前が見えます。

エルヴェシウス夫人はフランス革命以前に亡くなっているクロード=アドリアン・エルヴェシウスの妻でした。エルヴェシウスはフリーメイソンとしても知られていますし、また、以前に紹介しましたコルドリエ・クラブでは彼の胸像はミラボーのものと共に中心に置かれたジャン・ジャック・ルソーの胸像の左右に置かれていました。

コルドリエ・クラブには多くのジャコバン派のメンバーがいました。過激派のエベールを始め、ダントンやデムーラン、ラクロ、マラーやマイヤールといった過激派がエルヴェシウスの理念に従い革命を遂行していたことが解ります。

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