【テーマ】ノーベル経済学賞とスウェーデン国立銀行

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今回はノーベル経済学賞スウェーデン国立銀行について議論していきたいと思います。

 

 

ノーベル経済学賞とは

ノーベル賞はみなさんご存じのように、ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたスウェーデンの化学者で発明家のアルフレッド・ノーベルの遺産を元に表彰される賞です。

ノーベル賞は当初、ノーベルの遺言から物理学、化学、生理学・医学という三分野のみとされていましたが、文学賞と平和賞が付け加えられました。

1901年から始まったノーベル賞でしたが、1968年にスウェーデン国立銀行の創立300周年祝賀の一環として、経済学賞が加えられました。

ノーベル経済学賞スウェーデン王立科学アカデミーによって先行され、ノーベル財団によって認定されています。一方で、ノーベルの子孫やノーベル文学賞の選考を行っているスウェーデン・アカデミーは、ノーベル経済学賞を新しいノーベル賞として認めていません。

日本では多くのノーベル賞受賞者を輩出していますが、ノーベル経済学賞を受賞した人はいまだにいません。

あるジャーナリストはノーベル経済学賞は西欧型の自由主義的民主主義経済を唯一最上の経済システムとする前提に立っていると指摘しています。

また、ある経済学者は、経済学賞は、文学賞および平和賞と同様に、政治的に偏向しており、主流派の経済学を無視したり、反抗的であった場合は、受賞されることはないとしています。

フリードリヒ・ハイエクは自身の経済学賞の授賞式のスピーチの中で、もし自分がノーベル賞の設立の是非を相談されたら断固反対しただろうと述べています。それはノーベル賞が個人に大きな権威を与えるため、自然科学では問題ないが、経済学では不適当だとしました。

ハイエクと同じ年にノーベル経済学賞を受賞したグンナー・ミュルダールはより辛辣に、ノーベル経済学賞は廃止すべきと考えていたともいわれています。

ノーベル経済学賞は、ノーベル経済学賞と称されながら、賞金はノーベル財団ではなく、スウェーデン国立銀行から拠出されています。

受賞者の選考をスウェーデン王立科学アカデミーが行っているとはいえ、出資しているのはスウェーデン国立銀行です。ノーベル経済学賞は、現在の西欧流の中央銀行を中心とした通貨システムを前提とした賞であると見ることも十分できるでしょう。

スウェーデン国立銀行とは

スウェーデン国立銀行のルーツについては以前に記事をあげていますのでそちらを参照ください。

スウェーデン国立銀行ストックホルム銀行を前身としています。1656年にスウェーデン国王のカール10世に承認されて、オランダの商人であったヨハン・パルムストルックがヨーロッパで初めての中央銀行として創設しました。

当時のスウェーデンでは銅貨と銀貨が鋳造されていましたが、銀貨は価値が高かったために買い占められており、一般的には大きな銅貨が流通していました。

ストックホルム銀行に銅貨を預けていた口座の所有者は、預けていた銅貨が、貨幣としての価値よりも金属としての価値の方が高くなったために、ストックホルム銀行に返還を求めましたが、銀行はその銅貨を貸付金として支払っていたために返還の要求にこたえることができませんでした。

ここでパルムストルックは改革を行います。紙幣を導入することで金属による支払いを約束した証書(銀行券)を発行することで、この問題を解決しました。これがヨーロッパで最初の銀行券となりました。

現在の日本でいう銀行券は1万円札、5千円札、千円札です。貨幣がなくても、信用証書を発行することで、預かっていた銅を返還しなくてもよくなります。奇術とでも呼ぶべきものが生み出されたわけです。

これにより貨幣不足が解消され、貨幣の輸送も容易になりました。それまでは、大きな取引のあった場合、大きな銅貨を馬やカートで運搬しなければなりませんでしたが、銀行券の登場により、これが解消されたわけです。

こうしてストックホルム銀行は無制限に銀行券を印刷できるようになります。いわゆる通貨発行権というものです。ストックホルム銀行は口座保有者の預けた銅に依存しなくてもよくなりました。ストックホルム銀行は無制限に紙幣を発行し、融資し続けた結果、紙幣の価値が下落していきます。

このため、口座保有者は、紙幣ではなく、銅貨を求めるようになり、預けていた銅貨の返還を求めました。しかし、当然のことながら、ストックホルム銀行には銅貨など蓄えられてはいませんでした。銀行券を発行した分の銅貨など当然持っていませんでした。

このためストックホルム銀行は業務停止に追い込まれ、パルムストルックは投獄されます。パルムストルックは流刑もしくは死刑を宣告されましたが、政府が減刑し、死ぬまで刑務所にとどまり続けました。

これは原始的な銀行が必ずといってよいほど陥る現象であり、これは不兌換紙幣によって解消されます。銀行は通貨発行権に加えて、正貨との交換を保証しないという特権を得ることで、それまでの銀行とは全く異なる存在へと変化していきました。

不兌換紙幣に成功したのはスレッドニードル街の老婦人と称されるイングランド銀行でした。

イングランド銀行は戦争の資金を補うために創設された中央銀行で、イングランド銀行によって資金を無尽蔵に増やす術を得たイギリスは、世界中に植民地を拡げて、商人たちはイングランド銀行から得た資金を植民地から回収して返済に充てていきます。

ヨーロッパにおける中央銀行の整備と並行して植民地主義が拡大していったというのは偶然ではありません。

ノーベル経済学賞の呪縛

現在のノーベル経済学賞も、その資金と拠出者であるスウェーデン国立銀行をはじめとする西欧の銀行システムのドグマからは決して逃れることはできないでしょう。

日本ではしばしば孔子平和賞について批判されることはありますが、ノーベル経済学賞について同程度に批判されることはありません。

中央銀行という、世界の諸政府以上に特権を獲得している存在に対して、ノーベル賞はその特権を更に強化するばかりで、それに批判的になることはないと考えるべきでしょう。

数々の奇術を用いて資金を捻出し、その結果として死刑囚となったパルムストルックを起源とするスウェーデン銀行が、ノーベル経済学賞のルーツにあるということは知っておいた方がいいでしょう。

ノーベル経済学賞は多くのユダヤ人が受賞されていますが、今後も日本人がノーベル経済学賞を受賞される日はおそらく来ないでしょう。もしそんな日が来たとすれば、それはノーベル経済学賞がそれまでとは全くことなった組織によって管理されるようになったか、もしくは、その日本人の価値観や人生観が日本の伝統に根ざすものではなく、国際金融資本家たちのそれに根ざした価値観だった場合ではないかと予想しています。

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最後に

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