何故議論に動画のリンクを貼るべきではないのか

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こんにちは。いつもお越しくださる方も、初めての方もご訪問ありがとうございます。

今回は議論に動画のリンクを貼る事について議論していきたいと思います。今回はあくまでも草稿となり、この記事は今後アップデートするかもしれません。

 

 

何故議論に動画のリンクを貼るべきではないのか

恐らく、この記事は私が今後私にTwitterなどで動画を紹介してくださった方に、提示する記事になると思います。

この記事は私とその方との合意形成を目指すためのものです。

これは、私個人の意見ですので、これに反対の意見があったとしても、私としてはその意見を一定程度尊重します。ただし、私と議論する場合にはこの記事の内容は了解していただく必要がでてきます。

今回は、何故私が議論中に動画のリンクを貼すべきではないと考えているのかを説明します。

私は以前にも何度かTwitter上で、この動画を見てくださいと言われたことがあります。

動画のリンクを貼ってこられる方々で無造作にいくつもの動画を示されるケースも多くあります。

これについてまず、「動画を紹介する側の労力」と「動画を紹介される側の労力」について見ていきたいと思います。

動画を紹介する側の労力と動画を紹介される側の労力

議論の上で動画を紹介する側の労力

その動画を紹介するにあたり、恐らく、その動画にたどり着いた労力はあったのだと思います。

しかし、動画を提示する側、提示される側の二者間において、その動画を紹介するという単純な行為にはほとんど労力は必要ありません。

議論の上で動画を紹介される側の労力

再生時間・分析時間

動画を紹介された側は動画を再生することで、基本的にはその動画の長さ分時間を拘束されます。また動画を解釈し、分析している時間も拘束されます。

議論の進行

大抵動画を提示される方は、その動画のどこを本題としたいのかすら提示しません。

提示される側は、本題がその動画の中のどこにあるのかを聞き返さなければなりません。

動画における主張と動画を提示されている方の評価の違いが分からないのでその違いも聞き返さなければなりません。

一般的にはその動画の内容を無批判に真と見做しているかのように感じられますが、実際のところ必ずしもそうとも言えないですので、確認作業が必要です。

主題をマークできない・文脈の不明瞭さ

議論を進行するためには、話の全体の中でどこを主題としたいのかというのは重要な問題です。しかし、そもそも動画は、このような主題を二者間で共有するのが難しく、更に付け加えると、第三者が入り込む余地も少なくなります。

文章やツイートであれば、簡単にどこが主題かを提示できます。

またその主題が文章全体のなかでどのような文脈で用いられていたのかも分かりやすいものとなります。

動画では、再生ヘッドを合わせて再生して聞き取る必要があり、この検索作業だけでも労力がかかる上に、文脈がぼやけてしまいます。

手軽な搾取

場合によっては動画を見るだけでも数時間、更に分析し、どこをトピックにしたいのかを確認する作業にも数十分から数時間かかる場合もあります。

しかしそうであるにも関わらず、手軽な感覚で提示してくださる方も多くいます。

手軽な感覚で、「どう思います?」と聞いてくるわけです。

こちらとしましては、「何がですか?」と思うわけです。数十分、数時間かかる作業を一方で要求しながら、他方では即答することまで求められても、何もできません。

「私の時間を一体どれくらい搾取したいんですか?」、「何故、私があなたが提示された動画についての議論を行うためのホスト役を買わなければならないのですか?」と聞き返したくなります。

せめて動画を提示するのであれば、「これについての回答はすぐにはできないと思いますが、お時間のある時にでもご確認ください。」くらいの対応はしてほしいものです。

動画への感想:困惑

大抵の場合、動画を見て思う感想は「だから何が言いたかったの?」というものです。

大抵は動画を提示なされた方が尊敬されている方の動画を貼られてこられるわけですが、提示される側はといいますと、そこまで尊敬しているわけでもなかったり、逆に尊敬していなかったりもします。

そこには大きな困惑だけが残ります。

こちらも気を使って反論するわけにもいきませんし、特に、そのことについて議論したいわけでもなかったりします。いずれにせよ、ほとんどの場合、ただ時間が浪費されたと思うだけです。

動画提示者本位でも構いませんが、そうであるならば、ある程度、相手の時間に対する配慮も持ってほしいと思います。

恐らく、その動画を正しいと思ってらっしゃるので、知ってほしいと思う気持ちは理解できます。しかしそうではない可能性も、そう解釈されない可能性についても念頭に置いてほしい部分はあります。

もし、「全然知りませんでした。教えていただきありがとうございます。これからもいろんなこと教えてください。」という回答を私から期待されているのであれば、おそらく全くの時間の無駄に終わるであろうことも付け加えておきましょう。

動画提示者が背負うべき責務

動画を提示する行為は動画提示者の主題であり、基本的には提示される側の主題ではありません。

動画提示者はその主題について動画提示者なりの分析などを文書で提示する必要が本来はあるのではないかと私は考えます。

こちらにも動画提示者の意見に簡単にアクセスできるような手軽さを提示してほしいわけです。動画提示者が自身で行っておられることのように。

動画を提示なされる方にお願いしたいのは、まず、何故その動画を示されたのか、その動画と私のそれまでの議論との関連性はどこにあるのかを示してください。

(これについては基本的に関連性が薄いと感じることが多くあります。一般論として、提示する側は関連性があると感じるのだとしても、提示される側は基本的には提示する側ほど関連性を強く感じないものです。)

また、その動画に対するあなた個人の意見がどこにあるのか、どこに共感し、どこに批判の余地があると考えているのかを予め示してください。

こういったことを動画のリンクを貼る手軽さの分、背負ってほしいというのがあります。

ネットで便利さに慣れ過ぎていませんか。

もし動画提示者が、自身の意見や解釈、手軽にアクセスできる言論空間、サロン的な場を提示していないのであれば、動画提示者に対して私が言えることは、「今回はお引き取りください」ということです。

動画提示者が背負うべき責務を負ってくださったのであれば、私はもしかすると、ある程度の関心をもって、おそらくは大した関心はもたないでしょうけれど、その議論にある程度は参加するかもしれません。

例外

ただし、例外もありまして、もしその動画の製作者が、その動画提示者自身であるならば、話は変わってきます。

ここで議論しているのは、動画も製作せず、動画提示者本人による誰もが手軽にアクセスできる言論空間も作成しておられない場合についての話となります。

反論があるかもしれませんが、私が一定程度Noteで言論を形成していることをご理解ください。

動画を拡散してほしいのでしたら、そのようにおっしゃってください。そうだとしても私がその動画を拡散することはほぼありません。それは私の主題ではなく、あなたの主題だからです。

私はあなたとおそらく非常に考えが近いのでしょう。しかし同じではありません。あなたの活動に私が協力したいと思うことはほぼありません。あなたの考えに合わせて私が行動することもおそらくないでしょう。

もしあなたが私との合意形成ができていないと認識してくださっており、あなた自身が私の意見に合わせざるをえない可能性があると認識してくださっている場合に限り、私があなたの協力者となる可能性が僅かばかり芽生えてくるものだと思います。

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最後に

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