生物の進化と人間の感情

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今回は生物の進化と人間の感情についての個人的な考えをお話ししたいと思います。記事中には私個人の偏見や認識の誤りも含まれていると思います。その点のご理解のほど、よろしくお願いいたします。

学問・思想・宗教などについて触れていても、私自身がそれらを正しいと考えているわけではありません。

 

 

生物の進化と人間の感情

人間の起源がどのようなものなのかという疑問への解答は、主に科学を前提としたものか、もしくは宗教を前提としたものかで分かれます。

現代科学では人間はオランウータンやゴリラの祖先から分岐したと考えられており、聖書に見られる創世記の物語は神話として、古代人が長い年月をかけて作り出したフィクションであると見做されているのではないでしょうか。

一方で、宗教に基づく考えを前提として科学的見解を批判的に論じる場合、どのような論理でそれを否定するのかは私にはいまいちよくわからないところがありますが、中には一般的な人民には知られてはならない理由があって、進化論というフィクションが作り出されたと考えているような人もいるようで、その考え方は様々なものがあるものと推測します。

ここでは進化論的な前提で話を進めていきます。生物が単細胞生物から多細胞生物へと進化する頃、地球全体を氷が覆っていたのではないかと考えられています。これを全球凍結といいますが、この全球凍結後の地球に身を寄せ合った単細胞の連合体である多細胞生物が増えていき、更にそこからわずかな年月で生物は複雑な構造を持つ眼をはじめとした多くの感覚器官などを手に入れます。

眼の進化に伴い生物の多様性が爆発的に拡がったのではないかという仮説がありますが、これを光スイッチ説といいます。生物は以後、地質年代で顕生代と呼ばれる目に見えるサイズの生物で溢れた時代に突入しました。

感覚器官をはじめとした感覚のネットワークシステムは同時に思考を司る脳の発達へとつながっていますが、私たちの感情や感覚は感覚器官と密接にかかわっているように、私たちの生活する環境からの情報が元となって発生するものです。

単細胞生物に感情があるのか、あるいはないのかは、その定義によって答えも違ってくるのかもしれませんが、一般的に人間の感覚とは非常に異なるものだというのは間違いないでしょう。それでも人間と同じようにまるで外敵から身を守るかのようなメカニズムなどは、人間の感情の起源を思わせるものがあるかもしれません。

単細胞生物とは異なり単純で原始的な多細胞生物になってくると、その行動のメカニズムから、人間的な感覚や感情を見てとれるような場合もあるかもしれません。もしかすると厳密には人間のそれとはまったく異なるものなのかもしれませんが、危険に際して逃れたり、あるいは外敵を威嚇したり、あるいは異性に対して求愛したり、あるいは群れの仲間を撫でたり、あるいは強く周りを警戒したりと、様々な行動を目にすることができると思います。

それはより人間に近い生物であればあるほどに人間的な感情に近いと思われるものを人は感じ取るに違いないでしょう。もちろん原始的な多細胞生物からさえも、そのようなものを感じ取ることは可能であるに違いありませんが。

8つの基本的な感情

アメリカの心理学者ロバート・プルチックは生物が自身を守るために兼ね備えた中心的役割となっている感情的表現を8つに分類しました。

まずは外敵から身を守らなければなりません。そのためには、強い敵から恐怖心を抱かなければなりません。また時に怒りの感情によって相手を威嚇したり、撃退したりすることで身をまもる必要があるかもしれません。

また生物がその種を残していくためには異性を求め、そこに悦びを感じることになります。同時に大切なものの喪失するときに起こる感情、悲しみや悲嘆によって、再び大切なものを取り戻したいという感情とも根底では繋がっていると思います。

同時に群れの中で互いに信頼を獲得することで居場所を確認し、時に嫌悪を持って拒絶するといった行動などもそういったメカニズムの一つに数えられます。

また枯渇した土地から新しい土地を求め、探索したり、状況を把握する予期や、唐突に表れる外敵や出来事に対して驚くことでもまた、生物は自分の身を守っていると考えることもできるでしょう。

これら恐れ、怒り、喜び、悲しみ、信頼、嫌悪、予期、驚きという感情は生物種によってそのメカニズムは異なるかもしれませんが、防衛メカニズムとして共通して見受けられるもの、あるいは感情と見做すことができるかもしれません。

ある意味で感情とは外側から見て憶測するものであり、同時に実際に自身で感じるものでもあり、感情には内外からの観察による二面性というものがあると思います。

例えば、大切な人からプレゼントをもらったときに自身が感じる感情と、大切な人にプレゼントを渡すときに目にする相手の表情から感じる感情は、ある種の共感によって違和感なく互いに共有できるものでもあります。

一方で、友達を馬鹿にするときに相手が感じているであろう不快感の推測と、逆に他人から揶揄されている人間が実際に感じる不快感とでは時に大きな隔たりがあるだけに、私たちは共感する動物であると同時に、決して共感することのない動物であるという二面性を念頭に置いておく必要があるものと思います。

プルチックはこれらの基本となる感情に対応表を作ることで更に24の複雑感情を分析して見せました。

詳細は下の記事で紹介していますのでそちらを参照ください。

人間が感情をこの基本となる感情の8つと24の複雑感情によって構成されていると単純化できるほど、人間の感情というものは単純ではないでしょう。

しかしながら、このような複雑な感情をどんな環境にあるどんな人でも感じるものであるということを念頭におく必要はあるかもしれません。希望を抱き、絶望し、服従し、不安を感じ、歓喜し、罪悪感を感じるといったように、こういった感情を抱くのは普通のことです。

人間の感情と現代社

人間がオランウータンの祖先から分岐して何百万年という月日が経過し、そこから人間は巨大な脳を獲得しましたが、ヒトという生物種にとって最も長く生活環境を安定させてきた世界から、文明化され、産業革命から更に情報技術革命が起こってヒトという生物種が生活していくことが全く想定されていなかった、あるいは原始社会からヒトという生物種の進化による適応がほとんど全く起こっていない時代に突入しているという表現はおそらく可能でしょう。何百万年かけてヒトが進化してきた時代の環境の変化と比較して、ここ数万年に、更に数千年、数百年、数十年と人間社会が進歩してきた環境の変化では、はるかに後者の方が急激な変化であると見做すことができるのではないでしょうか。

現代社会にはまだ、かつての原始社会の名残が残っているかのような風景も実際には感じ取れますが、その一方で都市部を中心にその環境は様変わりしています。

文明の進歩や社会の変化というものを議論する場合、私個人としましては、40億年の生物の進化の歴史をある程度念頭に置かなければ、片手落ちになるのではないかという懸念を抱いています。人間が人間として当然であると思っている多くのことは、実は思い込みかもしれません。

それは現代社会の尺度、更に現代日本の尺度で人間というものを推し測っているがゆえに多くの問題が発生しているということは大いにあるでしょう。それは現代日本に限らず、特定の会社であったり、特定の宗教であったりと、人間が人間とは何かを規定している多くの場所で、人間は人間を正しく測り得ていないと言っても言い過ぎではないと思います。

ある意味でこの種の人間的な思い込みを思い込みと知りながら、不条理にも従属していかなければならないという違和感を抱えて生きているのが現代人といえるのかもしれません。

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