第一インターナショナル⑥マルクスの勝利

安部磯雄小池四郎共訳の『インターナショナル歴史現状発展』より、第一部・第二章、「第一インターナショナル」からの転載です。一部現代風にしています。共訳となっていますが、元々の著者は不明。【コメント】以下は個人的な感想などをまとめることにします。

安部磯雄・・・日本の社会主義者、日本フェビアン協会発足者、日本ユニテリアン協会会長、戦後の日本社会党顧問

 

 

相互主義の敗北と社会革命への移行

インターナショナルの膨張は、その会員のあいだの思想の変化をもたらした。1868年の9月5日と11日の間にブリュッセルに開催された第三回大会では、フランスの「ミューチュアリスト」(相互主義)が「コレクティヴィスト」(集産主義)の前に敗北した。土地国有を可とする決議が、30対4で通過した。ドイツ代議員の提案によって、大会は万国の労働者に、マルクスの「資本論」を研究するように勧告し、その上にマルクスを「資本を科学的に分析した最初の経済学者」として推称した。この大会は、特に、その当時ヨーロッパ全土に渡ってのしかかっていた戦争の危機の検討に現れた熱烈なる意気によって、一般の記憶に刻み付けられていた。

ベルギーの代議員であるケーザー・ドゥ・ペープは、戦争の場合は労働者は総罷業(ストライキ)を敢行して、××(※検閲)の糧食を絶やし、その総罷業を社会××(※検閲)に導かなければならぬと要求した。このペープの提案は全部は容れられなかったが、大会は労働者に向かって戦争の際は「仕事を休む」様に勧告した。

集産主義・マルクス主義の勝利とバクーニンの影響

しかももっと一層決定的なものは、バーゼルのインターナショナル第四回大会におけるマルクスの勝利であった。この大会は186(※「1868年9月6日」の誤植か?)から12日にかけて招集された。マルクスはそれに出席はしなかったが、彼の考え方は、総評議会からの代議員とドイツとベルギーの代議員とによって十分に主張された。この時までに「ミューチュアリズム」の思想は、フランスでさえその勢力を失墜した。そしてバーゼルの大会に出席した26人のフランスの代議士は、今は「集産主義者」となっていた。

大会は運輸機関の集産的所有制を承認した。そして全国的ならびに国際的労働組合の結成を勧告した。それは唯に傭主に対する防衛のためのみでなく、労働組合は「将来の社会の細胞」であるという理由に基づいていた。労働組合についての決議は、またバクーニンの影響をも反映していた。バクーニンはその大会の一代議士として出席していた。

マルクスとその協力者エンゲルス

大会に勝利を得た一方、マルクスはまた評議会の支配的勢力となった。イギリスの労働組合運動者は、相変わらず総評議会の多数派であったが、彼らはもはやそれがどうなろうと多くの関心をもってはいなかった。一方に、マルクスは、その「資本論」の労作から解放されて(1867年に発行した)しかも健康と財政の状態が共によくなったので、非常な精力と熱心とをもってインターナショナルの仕事に没頭するようになった。

1870年にはたまたまエンゲルスが、マンチェスターの仕事を捨てて、ロンドンに移住してきたので、マルクス派ここに忠実なる協力者をえたのであった。

【コメント】

第一インターナショナルの会議は6回の内3回がスイスで開かれています。スイスは、ナポレオン戦争締結後のウィーン会議永世中立国として承認された国です。ある意味では人工的に永世中立国となったと見ることもできるのでしょう。

第一インターナショナルが、主要国である、イギリス・フランス・ドイツを開催国として避けた理由として、時の権力者に妨害を受けずに議論を進めることができるということなのでしょう。言葉を変えるとスイスは陰謀を企てるのに最適の土地であるという解釈もできそうです。

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