第一インターナショナル④インターナショナル第一回労働者大会

安部磯雄小池四郎共訳の『インターナショナル歴史現状発展』より、第一部・第二章、「第一インターナショナル」からの転載です。一部現代風にしています。共訳となっていますが、元々の著者は不明。【コメント】以下は個人的な感想などをまとめることにします。

安部磯雄・・・日本の社会主義者、日本フェビアン協会発足者、日本ユニテリアン協会会長、戦後の日本社会党顧問

 

 

労働組合主義・マッツィーニ派・ブランキスト

それが組織されてからの2年間というものは、その評議会は、インターナショナルの第一回大会の準備の問題に、ほとんど気を奪われていた。総評議会の委員は、ロンドンの労働階級地域の小さな部屋それが本部の役をしていたのだが、そこに会合を重ねていた。委員の間には軋轢があった。それは唯に政治・経済・宗教の問題に関してではなく、彼ら自身が産婆役を務めたその団体の目的に関してもそうであった。

イギリスの労働組合主義者は、イギリス型の労働組合を大陸に広める一手段として、それを利用しようとした。マッツィーニは、欧州に共和政体を助成するための一つの新秘密結社の萌芽を、その中に睨んでいた。ブランキストはそれを暴動の目的に変えたがっていた。するとまた一方には、ある少数の人間がマルクスと共に、それは社会の完全な社会主義的改造のための、万国の労働者の総団結への第一歩であると見ていた。

リンカーンの再選と暗殺

イギリス労働界の先例に倣って、総評議会は、政治上の時局問題に関する見解を「声明」の形で発表する機会をもった。その一つは、1864年11月29日アメリカ大統領リンカーンに送ったものであったが、リンカーンの再選をアメリカ国民のために祝福し、労働、ならびに社会改造の新時代への発足を記録した所の南北戦争にその国を導くように、彼――「労働階級の貴重なる息子」である彼をさせたことに対して、満足の意を表したのであったが、それに対して当時のロンドン駐在のアメリカ大使であったチャールズ・フランシス・アダムスは、丁重な弔辞を送っている。

それからまた1865年5月13日には、総評議会は、もう二つの「声明」を大統領ジョンソンに送って、リンカーン暗殺に痛烈な憤怒の意を表明した第三番目のものは、1865年9月に発表したものであるが、それは南北戦争の満足な結果と、連邦の維持されることについてのアメリカ国民に対する祝辞であった。

第一回ジュネーヴ大会

1866年中は総評議会は、ロンドン労働評議会と協力して、その当時イギリスの労働者が躍起となっていた所の選挙改正の運動をつづけた。しかしながらその主要な仕事は、インターナショナル第一回労働者大会の招集にあった。この大会は1866年9月3日から8日にかけて、ジュネーヴで開催された。この時にインターナショナルは、フランス・ベルギー・スイス・ドイツには小さな支部を持っていたが、それらは熟練職工と知識階級から構成されていた。

最大の会員はイギリスにあったが、そこでは2万5000強と推算されるほどの会員をもつ17ばかりの労働組合が、インターナショナルに加盟していた。だが労働組合にしろ支部にしろ、規則的に会費を納入するものではなかったので、1865年――66年の収入は、285ドルばかりであった。ジュネーヴ大会の出席代議員60年のうち、大多数はスイスからであった。

ジュネーヴ大会はその開期を12件の討論にあてた。すなわち、インターナショナルの組織と目標・労働組合の過去現在将来・婦人および児童労働・労働時間の制限・協同組合と労働組合・資本と労働・海外競争・課税・国際機関・ロシアの勢力を撃破し、ポーランドを再建するのは必要・常備軍・宗教思想・共済組合の設立がそれであった。

各国支部の思想と主張

インターナショナル内部の考え方が甚だしくまちまちであるということがそのままこれらの討論に反映した。イギリスの労働者は、前にも述べたように政治的にも経済的にも自由主義であった。スイスの労働者は新キリスト教人道主義であるクーレリー博士の指導下にあった。ベルギー人は「コラニスト」すなわち無神論と唯心論との混合型を主張し、土地と資本の私有財との集産的所有制を主張したJ・G・C・A・H・コランの一派であった。そこに出席したドイツの少数の代表者は、マルクスの追随者であった。マルクスはその大会に出席しなかったけれども、彼の共鳴者の指導のためにその会議に詳細なる報告を送った。

これらに対抗して、フランスの労働者は、プルードンの追従者、すなわち、ミューチュアリストMutualist(相互主義者)であった。そして彼らは労務の相互関係が社会正義の精髄であると信じていた。彼らの理論はこうであった。労働の生産物は、生産物に属すべきものであり、その生産者は、等量の労働を要した生産物とそれを交換すべきであるという、人間関係における国家の干渉・罷業・労働組合というものに彼らは反対する。そして、労働者は生産物のための協同組合・相互保障・浪費そして信用という組織によって、彼ら自らを解放することができると信じていた。彼らは「人民銀行」に特別の希望をもっていた。そして国際信用の組織を主張した。

こうした不備のため、ジュネーヴ大会の議事は誠に冗漫なものであった。しかしその大会はマルクスの起草にかかる規則を承認した。そして幾多の決議を採用したが、そのうち最も重要なものは、最大8時間制・婦人児童の国際的保護法・夫人の夜業禁止の決議であった。

【コメント】

フランスのプルードン主義から人民銀行の発想が出てくるのが個人的には興味深くあります。文字通り人民が銀行を経営するなどということにはなりそうにないと個人的には思いますが、通貨発行権のカラクリをよくよく理解しているための発想だと思います。通貨発行権を握ったものが国を支配することができるということを無政府主義者は認識しているということなのでしょう。

バクーニン主義

マルクスと対立していたバクーニンですが、一時的にフリーメイソンであったということが知られています。実際に一時的だったのか、そうでないのかは解りませんが、彼がフリーメイソンと関係があったのかは間違いないのでしょう。

バクーニンはまた、マルクスに対してユダヤ人であるという点で彼を批判しています。このため実際に現在も反ユダヤ主義者というレッテルがバクーニンに貼られています。

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