2010年代の保守運動は何が問題だったのか

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2019年に私が書いた記事。相変わらず語気が強く、手前勝手な主張に感じますが、その点はあまり気になさらずに。

2019年04月21日
保守運動は何が問題だったのか

 

 

ネット保守運動の勃興

2010年代初頭から日本では保守運動が活発化した。これらの運動に一役買ったのがインターネットの普及が挙げられる。それまでメディアを通じてメディアから一方的に情報を提供されていた国民が、気軽に相互にコミュニケーションを取ることができるツールの普及によって、それまで一方的に与えられてきた情報の多くに問題があることを、互いに確認しあえるようになったのである。

メディアが私たちに提供していた情報のどこに誤りがあるのか、その正誤の是非を問わずに、多くの人々が、その事実関係を精査しながら、様々な仮説を検証し、本当の事実がどこにあるのかを推測し、その推測は、既存メディアほどではないにせよ、驚くべき程度の拡散力で、人々の間に拡がっていった。

行動し拡散する保守

2010年代初頭の保守運動の背景の一部にはこのような展開があったと思う。ところがそこで展開されている言論には、そういった背景とは別の主張がなされていた。いわゆる「行動する保守」と呼ばれるものである。行動することが絶対化され、拡散するという行動が非常に重要な役割として認識された。

拡散こそが、行動こそが、保守の至上命題として、人々は躍起になって、単純化されたイデオロギーを主張しあい、互いに罵倒し、互いに傷つけあった。自分こそが正しく、自分以外の意見の一切が間違っているという、恐らく当の本人も自分がやっている行動に疑問を抱きながらも、自分のやっていることを制御することができないでいた。

いつしか疲れ果てた彼らは、今度は自分のやっていた行動やその行動の前提の一切を否定することによって、それまでの言論すべてに対して批判的になり、その場を立ち去って行った。行ってしまえば、日常生活に戻ったということも言えるかもしれない。

これらの行動の一部は、どこか日常生活の一部を犠牲にしなければならないところがあった。実際に自分に近い場にいる家族や地域の仲間、会社の同僚などとの関係性よりも、政治的イデオロギーに熱中しなければならず、場合によっては家庭環境や職場環境に、マイナスな作用をもたらした人もいたのではないかと推測する。

また当時の保守運動は行動絶対主義であり、拡散絶対主義であり、事実がどこにあるのか、そこで提示されている情報は事実なのか、それは単にイデオロギー化していたのではないかという検討のほとんどが、無駄な議論という烙印を押されていた。

そこに提示された主義主張は、徹底的に絶対化されていたが、実際に絶対化されたのは、主義主張ではなく、主張している本人それ自体であった。そこで提示されている主義主張に、矛盾があろうとも、彼らにとっての正解は彼自身だった。

彼らが聞きたかったのは、相手からの合意であり、礼賛であり、彼の主張の吟味や推敲は意味を失っていた。確かに彼らの主張の一切が間違っていたとは私は思わないが、しかし自分たちのやっている行動のどこかに問題があると構えることが彼らにはできなかった。

私は当時から可謬主義の重要性を指摘し、自分たちの意見が如何に誤りの多いものであるのかという前提を重視すべきであると主張してきた。しかしながら大抵の場合、ほとんど彼らにとって私の言っていることは意味をなさなかった。

情報が持つ四つの要素

私は政治的運動において重要な要素というのは四つあり、これらの四つのうち、どれかを喪失するとそこから問題が生まれ空中分解せざるをえないと主張してきた。そして結果として当時の私の主張どおりの結果になった。

四つの要素というのは次のようなものである。

情報開示、情報拡散、情報収集、情報分析というものである。

情報開示とは、私たちが収集してきた情報を分析し、その分析結果を自分の手の中にとどめないで他者と共有するというものである。

情報拡散とは、先の情報開示によって提示されたものの中からより確からしい事実や情報を、誤った情報を持った他者に広めることである。

この二つの行動が2010年代の行動する保守運動の重要なテーマとなっていたが、次の要件がなおざりにされていた。

情報収集とは、世界にあって散り散りになった断片的な情報を、様々な形で収集する作業である。これは他者からむしろ学ぶことが重要となる。歴史や科学などありとあらゆるものを、社会に役立てることができるかもしれないと構えて収集する作業である。

最後に情報分析であるが、情報分析とは、収集された情報を説明・拡散するに値するものにまで精度を高めるために、散り散りになっている情報や事実認識を分析・総合化することである。

行動する保守とは、この後者二つの要件の意義に対して否定的だった。既に誰かが提供している情報に飛びついて、その情報こそが開示し、拡散される情報であるとして、そのイデオロギー化された言論を躍起になって拡散することに情熱を注いだのが、2010年代の初頭の保守運動であったと私は思う。

保守運動の衰退

そしてこれらの保守運動は数年のうちに急速に終息していったが、彼らは自分たちが拡散している情報が何故拡散しなければならないのかを内心ではどこか疑いながらも、それを否定することが怖かったのである。そして否定する材料を彼らは持っていなかったのである。従って、否定するまでに長い歳月を要した割には、それを否定するための理由すらも稚拙なものにならざるをえなかった。

このような流れから今度は急速にリベラルの言論に転向していった人間も多かっただろうと私は思う。そもそも彼らが展開していた言論は決して保守とは関係がなかったのかもしれないという仮説や推測も彼らの言論からは見いだせなかった。

敵対するメディアへの依存

現在も、これと同じような状態は続いており、保守運動は情報の開示と情報の拡散こそが至上命題であり続けている。情報を収集し、情報を分析するという役割は放棄され、その役割は既存のメディアの言論を引用することで補っている。彼らが批判的に論じている既成メディアの言論を、無批判に信用して事実であると断定して、そのメディアのパブリックリレーションズに飛びついて、世界を断定的に論じるのである。

彼らは彼らのやっている運動の自己矛盾に一切気が付かずに、矛盾しているのは愚かな他者だけだと断定して世界を論じている。

不完全性の論理

どいつもこいつもバカばかりだと嘆きながら、馬鹿者は当の本人だとはどうしても認めたくないようである。人間の知性や認識が不完全であるのは、人間にはどうにもならない事実であろう。それを保守運動家の多くも、他のデマゴーグと同じように認められないのである。自己の知性や見解の完全性という虚妄から抜け出せずにいるのだ。

サブカルチャーのサブカテゴリ―化した保守

気が付けば、マルクス主義者やトロツキストであるネオコンと全く同じような言論で世界を論じてる有様であり、バークやチェスタトン、更にラッセル・カークのような保守言論は、決して彼らには届かないものとなっている。それだけならいいが、日本の神道や仏教、江戸時代の朱子学陽明学なども、どこにいったものか、といった有様で、むしろそういったものよりも、アニメやゲームなどからヒントを得たような言論で溢れている。

それが戦後保守の哀しき実態の一面である。保守言論の多くは、事実関係の是非を問わずにすでに結論が用意されていて、大抵は現政権批判か現政権礼賛のどちらかが主要命題である。そのための援用となる新聞の記事を選び取って、掲示板的言論、スレッド・レスポンス方式の言論で、世界を断定的に論じるだけであり、そこには事実に対する誠実な収集も、誠実な分析もなおざりにされている。

彼らがやりたいのは現政権批判か現政権礼賛のみであり、彼らにとってどのような事実があっても、ただ批判し、礼賛するかしかやることがないはずである。そして時に急激に意見を反転させて、批判から礼賛に転じ、礼賛から批判に転じるという、電化製品のオン・オフのような単純化された結論のみが、言論空間に浮遊している有様である。